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2020.02.18 おぐりんblog

涙だけでは語れない、知覧へ研修に行ってきました。

こんにちは(^O^)/また暫く間があいてすんませんm(__)m今回は、社長をはじめ各所長や役員などで2/7・8で知覧へ研修へ行き、いろいろ勉強した事を報告します。皆さん【知覧】と聞いて何を思い出しますか?お茶も有名ですですが、沖縄の海に散った【特攻隊】の基地で大変有名な所です。今回、特攻隊のお話しなどをさせて頂きますが、あくまで私個人の見解であり、皆様によっては違う意見もあるかと思います。その点だけご了承下さい。

今回は、とにかく【神風特攻隊】(※本来は『しんぷう』であり、当時のニュースで間違えて『かみかぜ』と言ってしまったからです。鳥取の古武道『神風流』からの由来)の由来の地を訪ね、一体何の為に自分の命を捧げたのか、今の私達は何をすべきなのか?を考える為の研修です。

【1日目】

鹿児島空から一番最初に向かったのが【鹿屋地下壕第一電信室】。鹿児島にはいくつも特攻基地があり、陸軍・海軍共に特攻基地がありました。その一つが鹿屋。今も海上自衛隊の基地ですが、以前は海軍の特攻基地でした。鹿屋すぐの串良基地もその一つ。

 

 

 

 

 

 

そこにある電信室は、約40名の電信員が特攻隊のモールス信号を受信していました。それは、このような内容です(・とー で、信号を表します)

【敵艦発見。これから突っ込む】・・・・--・ ・・・・--・

【今、敵艦に突っ込んでいる!】----------------(消える)

音が消えたということは、搭乗員の【命が途絶えた】事になります。心臓の音が消えたのです。モールス信号を流し続けた特攻隊の皆様はどんな心境だったのでしょうか。

この後に向かったのが【鹿屋航空基地資料館】です。

 

 

 

 

 

 

 

1階は、現在の海上自衛隊の案内ですが、2階が旧海軍航空隊に身を置いて、身を挺して戦った方の遺影・遺品・遺書そして【零式艦上戦闘機52型】が展示されています。係の方が詳しく話して頂きました。やはり一番目に行きますのが英霊の遺影と遺書です。どの文面にも家族を守る為、特に母親に対する感謝の言葉が書き綴られています。皆さんの字は達筆であり、涙なしでは読むことはできません。しかも10代後半から20代前半の若者。その若者が、覚悟を決め沖縄の海に散っていく。その時の心情はどうだったんだろうか。

ここからは、桜島を右に見ながらフェリーに乗り、鹿児島市内から指宿に向かったのですが、生憎の悪天候で桜島が見えず、とても残念でしたが仕方ないですね。

 

 

 

 

 

 

 

【2日目】

2日目は、時間が足りないくらいなので、早く出発です!!一番最初に向かったのが、私がどうしても一番行きたかったところ【万世特攻平和祈念館】です。終戦直前に秘密裏に作られた基地で地図にも載せず【幻の特攻基地】とも言われました。滑走路も短く、土で固めただけです。この基地は知覧と同じく、陸軍の特攻隊基地でした。なぜ私が一番来たかったのか・・・。この写真をご存知でしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

子犬を抱く、特攻隊の皆さんです。真ん中の方が荒木幸雄さん。群馬県桐生市出身この時17歳と2か月です。ほかの方も17~20歳。しかもこの写真は出撃2時間前の写真です(実際は悪天候のため翌日出撃し、沖縄の海で亡くなられました)。私はこの写真と、荒木さんの血染めの日の丸、遺書を見たかったのです。私はその場で立ち尽くしました。このような若い命が戦争で絶たれてしまうのがとても悔しく悲しみしかありません。彼らのような英霊のお陰で今の平和があるかもしれません。

この後は、メインでもあります【知覧】に向かいます。【特攻隊】はいつ誕生したのか?真珠湾攻撃が始まり、半年後にはミッドウェー海戦で空母が撃沈、更にマリアナ沖海戦で全空母が撃沈され、壊滅状態に。そして敗戦が濃くなったフィリピンのレイテ湾の時、大西中将が考えたのです。初めての出撃【敷島隊のベテランパイロット関大尉を中心】し成功して、これからは特攻作戦しか勝利の道がない!との事で若者の命を犠牲にする特攻が繰り返されたのです。

その沖縄特攻の中心でもある陸軍特攻基地が知覧です。沖縄の陸軍特攻で亡くなられた方は1,036名。知覧で402名、万世は120名です。知覧の街に入りますと左右に英霊を祀る灯篭が並び、心が締め付けられます。

いよいよ【知覧特攻平和会館】に到着です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

以前は、知覧は陸軍教育隊の学校でしたが、終戦間際は陸軍特攻作戦の中心基地として使用されました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こちらの灯篭。後ほど行きます、特攻の母と言われた【鳥濵トメさん】が建立した石灯篭です。鳥濵トメさんに関しては後ほど。

 

 

 

 

 

 

 

こちらは、英霊を祀る観音堂になります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こちらは、特攻隊の皆さんが出撃迄寝泊まりした三角兵舎です。復元ですが、敵機から守るため半地下で、屋根には葉っぱを散りばめていたそうです。出撃までの間、身支度や遺書をしたためたり、この世の最期をここで過ごしたのです。それまでの心境は、自分だったらどうなのだろう。出撃迄耐えられるのだろうか。死が目前なのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いよいよ、記念館です。撮影禁止ですから、どのよう内容なのかはYouTubeなのでご覧になって下さい。家族への遺書、恋人への遺書など一つ一つ見ていきますと、家族を守るため、家族・特に母親への感謝の言葉が、丁寧にそして一文字一文字に愛情がこもっているのが解ります。愛する家族を守るため、自分の命を捧げてでも守る特攻隊の皆様には感謝しかありません。

特に、何度も【池上〇の戦争を考える】を見て一度見たかったのが恋人に遺書を送った【穴澤さん】の本物の遺書を見た時は、震えが止まりませんでした。会いたい。会いたい。会いたい。の言葉。涙しかありません。

 

 

 

 

 

 

この写真も有名です。この機体に登場しているのが穴澤さんです。この写真にはいろいろありまして、後ほど記載させて頂きます。

英霊の遺影を一人一人見ていけば、10代後半から20代前半ばかりです。これからの青春が、これからの自分のやりたかった事が、特攻という作戦で消えてしまったのです。一度、行って頂き、ゆっくりと英霊の遺書を見ていただき、特攻の現実を見て頂きたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

今回の一番目的でもある【富屋旅館での講話】です。先程も話があった、特攻の母と言われた【鳥浜トメさん】の親族の方の語り部です。富屋食堂は陸軍指定の食堂となり、特攻隊の方々が気軽に来て、本当の母親のように皆さんをもてなして、いろいろ話をしたりリラックスできる場所でした。ただ・・。出撃する時に皆さんが挨拶にきて、波がも止まらず見送ったそうです。我が息子が特攻で亡くなる訳ですから。特攻隊の方々が過ごしたところで、食事をして講演になります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鳥浜トメさんのお孫さんの奥様が、講演なされました。

今の私たちに足りない物、そしてこれを続ける事によって皆が幸せになるもの。皆さん解りますでしょうか?

一番大切なのは【人に感謝する事】です。やってもらって当たり前と思っていませんか?【ありがとう】の言葉を忘れていませんでしょうか?特に私達商売している方は【ありがとう】を特に大切かと思います。

そして【挨拶を忘れていませんか?】基本的な、おはようございますやこんにちは。おやすみなさいなど。昔から日本人は【礼節】を重んじている民族です。

【感謝】【礼節】【思いやり】これをぜんぶ含めて【道徳心】をもっと身につけて、人の為に尽くしてもらいたいです。

奥様の言葉が身に沁みました。人として社会人として一番大切なものは何か?考えさせられました。今回の講話は新人研修に一番宜しいかと思います。残念なのは、鳥濵トメさんの事、特攻隊の皆様の本音が聞けなかったのが残念です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今回の研修で、命を捧げてこの平和な日本国を作って頂いた特攻隊の皆様への感謝の気持ち。守るために何をすべきか?私達は人の為に尽くす道徳心を持つこと。自分よりも他人を思いやる心。これから私たちが生きていくなかで、平和に幸せになるには必要ではないでしょうか?是非、皆様も考えて頂くと幸いです。

最後に、これは私の特攻隊と戦争に対する考えであり、皆様と違うかもしれません。

今回の遺書をを見ますと、封書には【検閲済】と書かれております。上層部が内容を確認し、それから家族に送るのです。特攻隊の方は本心を書いたのでしょうか?笑って逝ったと言いますが本当でしょうか?鳥濵トメさんは【笑って行った人なんか1人もいないよ】と言っています。本心を書いた手紙は、信頼する記者や鳥濱トメさんに託したそうです。【志願】で行ったと言われています。【命令】だと言われています。それに関しては皆様で一度考えてみて下さい。

先程の穴澤さんを【なでしこ隊】が見送る写真ですが、陸軍上層部がわざわざなでしこ隊を呼んで撮影し、撮影が終わったら帰ったそうです。その時上層部は【勇ましくいってらっしゃい!見送った】と言ってますが、実際は皆さん泣きながら穴澤さんを送ったそうです。

ただ、これだけは言いたいです。特攻隊の皆さんの家族への愛する心は間違いなく、守るために散った事に感謝です。そして命は大切にする事、そして【戦争は悲しみだけしかうまれない】。